本論文は芥川龍之介の「羅生門」における動物表現を分析したものです(2012年4月、マサキ・モリ博士担当科目)。英文翻訳版は英語ページをご覧ください。
芥川龍之介作の「羅生門」という短編小説の中に動物にまつわる表現が幾つかあり、処によって異なる効果を醸し出している。全編にわたって動物に関する表現は背景を設定するのに、そして、下人と老婆を非人間的にするのに用いられる。最後の追い剥ぎの場面に動物表現がない事は、要するに道徳というものは人間が定めるのだと主張しているのであろう。
小説の初めでは動物表現の多くは背景を表す為に使われている。「朱雀大路」という通りの名前が意図的に言及されており、動物に関する表現である。羅生門が都心を貫通する大通りの入り口にあるから重要で、それが修理されていないので事態が異常である事を示す上、鳳凰の形の朱雀は四神の一つで、南の方角を表す象徴的動物である。また、烏の回っている「鴟尾」というものは鯱(しゃち)とも呼ばれ、姿は魚で頭は虎という想像上の動物の形をしている。「申」という時刻は古代中国の十二支の象徴的動物に由来する。羅生門の周辺にキリギリスや狐や狸、烏などが棲む事と、泥棒が狐狸に喩えられる事で、話は朱雀や鯱や十二支を生み出した文明が繁栄した世界から頽廃した人間界に移って人間達が非人間的になる段階を描いていく。
下人が羅生門を登る所からその動物的比喩が始まり、「猫のように身をちぢめて」、そして「守宮のように足首をぬすんで」という描写と共に非人間的な世界に入る。つまり、天井に棲む蜘蛛のようなレベルの低い存在になり、「土を捏ねて造った人形のように」人間らしさを失ってしまう。その人間らしさを欠いた世界に隠棲する老婆は最も動物に喩えられる。「鶏の脚のような」腕で「猿の子の虱をとるように」髪の毛を抜いて「肉食鳥のような」目で下人を見て「鴉の啼くような」、そして「蟇のつぶやくような声で」話をし、その話の中に蛇と魚が登場する。最初に言及された伝説上の動物と比べて遥かにレベルの低い存在の動物ばかりで、人に容易に支配される種類であるから、老婆が陥った、人間らしさのない状況を象徴する。
老婆の話の趣旨は、死んだ女が生きている間詐欺行為をしたから社会的道義に適う扱いに値しないという事だ。しかしながら、詐欺をしたと雖も二種の動物を取り換えたに過ぎない。ある地方には蛇を平常に食べる人達があり、食習慣が場所によって異なると同じように善悪は状況によって変わってくる。下人は老婆の話を聞くうちにその事に忽然として気づき、出来ないと思い込んでいたけれども実は自分が出来る事を考え、老婆の着物を奪って逃走する。
最後の処に動物に関する表現が一つもないのは、正義や道徳等の問題が人間の独占事項だからであろう。つまり、幾ら動物に比べられるとしても、何が善くて何が悪いかを弁えるのは人間しか出来ない。それに、人間は他の生き物を支配する事で自己の価値観を形成する一方、下人のように自分の都合で急に道徳を捨てる事もある。時代が変わると羅生門が顧みられなくなると同様に、状況が変わると道徳が廃れてしまうのだ。